本歌取り
小沢健二パクリ説に関して私もヒトコト。
「パクリ」というのは人の作品をあたかも自分の物のようにして発表することだ。
小沢のあれらは、元ネタがわかるようになっているので、これには当たらない。
あのやり方は日本の伝統的な和歌の手法「本歌取り」に似ている。
だれもが知っている有名な作品を元ネタに仕込むことで、
作品の外にまで広がるイメージを内包させてしまうイキな嗜好。
ふつう、本歌取りの作品をして「あいつ、人の作品を借りやがって」と評するヤツはいない。
「あ、あなたあの歌元にしてますな、ふふふ」って感じでかえって評価が高くなるのが常だ。
あと「借景」にも似ている。
自分のお庭を作るのに、庭の外にある山とかの自然物とぶつかりあっちゃ困るから、
かえってそれを一部のように取り込んで全体としての調和を出すやり方。
ああジャパネスク。
もちろん小沢くんは山のないところで作品を作ったって良かったのだが、
あえて借景の妙を試みてみたというか、
つまり、だって別にそれに寄りかかってるわけじゃないじゃないですか。
その辺の見分けをつけもせず、
「ぱくりだ、ぱくりだ」とか言わないで欲しい。
噂の人たち
小沢健二さんもときどき女の人と噂になる。
ファンとしては聞き捨てならないのだけれど、
どうもこう、小沢さんと噂になる女の人は素敵な人が多くて困る。
満里奈ちゃんとか深津さんとか。
ちょっと違うけどいいともで電話回してた鶴田真由さんなんかも
女の人に好かれるタイプの素敵な女性だ。
おかげで嫌いにもなれないので困るのであった。
「俺」
小沢さんは最初「僕」って言っていたのが、
ある時期から「俺」になっていった。
歌詞の中でも「俺」が出て来てたし。
今でもそうなのだろうか?
「Dogs」のなぞ
「Dogs」は一体、なんで出たのだろう?
小沢くん本人が「犬はDogsにしよう」って言い出したのだろうか?
それにしては、その頃全然口にしなかったような。
一度ラジオで「Dogsが出るんですね」ってフられて、
「それは…なによりで。」と、微妙な受け答えをしていた。
聞かれたくないことを聞かれたからなのか、たんに照れていたからなのか判らないけど。
私はあんまり新譜が出ないからスタッフの人が
「再発」でちょっとアレしようと勝手に決めたんじゃないかと踏んでいるのだが、
ほんとのところどうなんだろう?
「さよなら」のなぞ
なぞといえば、「昨日は去年だった」で、
「さよならなんて云えないよ」がかかったとき、
小沢さんは「ブラックオアホワイト」を借りている事情について
「話せば長いことながら…」と何か事情を言いかけていた。
いったいどういう事情でそうなったのだろう?
気になるよ。
ガラガラガッシャンのなぞ
なんなんだ、「ガラガラガッシャン」。
小山田さんと
「さよなら…」と言えば、あのころ小山田さんは「ムーンウォーク」を歌っていた。
"小沢がCMで天使になれば、小山田は悪魔になっている"とか言われていたが、
マイケルをちょっと借りちゃうところもタイミングが一緒だった。
しめし合わせたわけじゃないのだろうけど、やっぱり電波近いのかなー。
「オザケン」について
「オザケン」というのはまた言いっぱなしな感じのする愛称だけど、
ファンとしてはこういうのがあって助かった。
だってファンじゃない人に小沢さんのことを言うときに、
「小沢さんが」って言ったら変じゃないですか。
かといって「小沢健二が」とフルネームを口にするのは恥ずかしい。
「オザケンが」と記号みたいに言っておくと、恥ずかしくないし
他の人にも通じる。
もちろんファン同志では「小沢くん」だけどね。
写真
小沢さんはけっこう写真を撮るんだという。
そういえば「カメラ・トーク」とかもあったし、
95年のポスターでは小脇にカメラを置いていたりしたっけ。
いつだったか
「今まで人物が全然撮れなかったのが、最近撮れるようになった」
と言っていたのは印象的だった。
それはすごくよくて、その写真は是非見てみたい。
どこかで発表してくれないかなあ。
叔父さんたちの合唱隊
例のあの、小沢家の四兄弟というのは冠婚葬祭で必ず合唱をするんだそうな。
そのことについて小沢氏は
「あれがいやでいやで」と発言したかと思うと、
「あれはいやじゃなかったな」とも言っていた。
両方とも正直な本心なのだろう。
そういうのってすごく分かる気がする。
小沢さくらさんのインタビューによれば、
叔父さんのうちのお一人が亡くなった後は、小沢くんがその代わりに歌っているという。
人物撮れるようになるくらいだし、「ある光」には「両親推薦」って入ってるし、
もう全然?小沢くん。
「ある光」
思い切って「ある光」の話。
初めに言っておくと、私は「ある光」のメロディは好きだ。
ほんとうに光がかーっと差してくるような、嬉しくなるようなメロディだ。
旅行中、真っ暗やみの林を通らなくちゃならなくなったときには、あれを大声で歌ってやり過ごしたりしていた。
でも。でもさ。
あの台詞に出てくる「僕のアーバンブルースへの貢献」は、アリなのだろうか?
「アーバンブルース」って。
ほんというと「やわらいだ森」あたりから怪しい感じはしていたのだ。
小沢さんは「ちゃんと書けた」と言っていたけど…。
なんでも現代詩とかを大声で読むようなパフォーマンスを見て
「そういうのもかっこいい」と思ったんだそうだが、
そう言われてみると分かるような気もするが、でもなあ。
えっと、こっちの右端に「自分の気持を完全に表しているが特殊すぎる歌詞」があるとして、
反対の端に「誰にでも伝わるけどなんにも言ってない歌詞」があるとして、
ちょっと前までの小沢さんはこの2つの間のグレーゾーンで妥協してる、のでは全然なく、
両方のはるか上空で魔法みたいな歌詞を紡いでいた。(しかも地に足は着いていた。)
それがいっぺん思い切って右端まで振り切ってしまったというような感じだろうか。
あの魔法ゾーンには30過ぎると入れなくなるようなところがあって、
だからその手の歌詞を書いている人はすごく大きなリスクを背負っていると思うのだけど、
大抵の人は「誰にでも伝わる方」にくずれていく。
小沢さんの場合思い切って一度ああいう方向に振りきることで、次の展開を待ってみたのだろうか?
小沢くんの次の歌詞はどんな風になるのだろう?
エーゴ?
エーゴでもいいぞう。
と思っていたけど、ネットを始めてから逆に
「アーバンブルースへの貢献」のところが特に好きだという人がいるのに気がついた。
しかもけっこう大勢いるし、わざと言ってる訳とかでは全然ないのだ。
「そっかー」と思った。
妄想
小沢さんはメイクさんにマニキュアを塗られて
「そういえば、マニュキュアなんて世界があったのか」と思ったらしい。
その捉え方はすごく面白い。
確かに男の人は知らないんだろうな、あのせかいを。。。
新しい世界に足を踏み入れるのは、ちょっと自分が壊れるような気がするものだが、
小沢さんはそういうのにめっぽう強い。主義かとも見える。
だからもし小沢さんが子供を持ったら…とか妄想してしまう。
多分「おしめ換え」という新しい世界に、真正面から取り組むのだろう。
それで嫌がらずにぐいぐい臨んでいくのだろう。
で、ある日ぱたっと飽きちゃう。
なんてこたないかな。
努力
小沢さんは誰かに「バルサ材の飛行機」とか言われていたが
その実すごい努力の人だと思う。
本人もすごく努力してるって言っていたし。
だいたい東大に入るくらいだ。
そういう地道で莫大な努力をする力があることは、とりあえず間違いナイ。
そしてその力は小沢さんをやたらと骨太な人にしている。(と思う)
小沢さんは目がいいから、自分の少し先にあるものがはっきり見えるのだろう。
それを見据えていれば、どんなときでもぎゅっと踏ん張る力が出てくる。
だから行き詰まっても、必ずその力で前に進んで行くに違いないのだ。
がんばれ!小沢!!